長期プログラム
『トータルライフ☆ブロックバスター集中治療室』
ご受講中の、クライアントさま達の、
マインドも現実も、どんどんと変わって来られていて、
先日戴いたアンケートの結果に、
嬉しすぎて、夜眠れなかった(笑)
潜在意識から『現実』と『人生』を変える。
起業家の、お金と人間関係
書き換えコンサルタント
江藤恭子です(*^。^*)
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私は、父を亡くした20代後半から、
「門前の小僧習わぬ経を読む」
状態で、たまたま、
かなりサイキックな能力を持っていた、
ある治療家のところに通っていました。
とは言え、なにかを教わったのではなく、
単に身体の治療をして貰っていたのです。
その先生の言い草は、
「(スピリチュアルな世界を学ぶには)
キミには無理」;;(苦笑)
素直な私は、その通り、
その先生の世話になっている間、
何も学びませんでした。
20年程前といまでは、
やはり世界は相当に変わったと思います。
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当時の私はいまよりもずっと体調が悪く、
(今にして思えばメンタル面が、
本当に弱かったことも原因だと思いますが)
結局、30代の始めには、
開腹手術を受けることになります。
でも、そんな中で、
私が自分の為に療養をしていたかというと、
そうではなく、
事務のパートなどをしながら、
未亡人となった後、
父と同じ病気を発症してしまった、
母の病に付き添っていました。
そして、母が入院した時は、
実家のある京都に飛んでゆく日々を、
父の死後、10年間も送っていました。
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結婚後、人生はあまりに思い通りでは無く、
病の為に子供を持つことも諦め、
自分らしく生きることが出来ない歳月が長いと、
さすがに「どうにかなりたい」と
痺れを切らして思うようになりました。
あまりに長い年月、我慢をして来たので、
私は自分自身が、
あまりに気が長いと思っていますが;;(苦笑)
母の病に10年間お付き合いをし、
亡くなった年にまた、
嫁ぎ先で病人が出て、
自立するまでの下地作りに、
さらに10年間。
さすがに自分自身を見つめたり、
平穏というものが欲しくなったのです。
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スピリチュアルな世界、と言っても、
定義もまちまちですし、
スピリチュアルと呼ばれる世界も広いので、
私が学んだのは、そのごく一部だと思います。
動機は単純で、
「幸せになりたい」という、
漠然としていて、かつ、切実なものでした。
その「幸せ」とは…
結局のところ、自分の現実が、
自分が思うように、
もしくはそれ以上に変わることでした。
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ヒーリングは、
直伝靈氣に始まり、
リコネクティブヒーリング、リコネクション。
セラフィムブループリント、
24本エーテリックDNA(AK)アクティベーション 、
…忘れているものもありますが、
片っ端から、と言う感じで学び習得しました。
ホ・オポノポノは、イハレアカラ・ヒューレン博士が、
来日されていた初期の頃に通っていました。
そうして、ちょっと鬱病になるほど(!?)
「愛しています・ありがとう・ごめんなさい・許してください」
…を実践しました。
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それぞれに学んで、もしくは実践をして、
ヒーリングを受けて、
私もヒーリングをするようになり、
それなりに体験として、良かったのです。
体調がかなり良くなったことは事実です。
精神的にも落ち着くようになりました。
しかし…
私の目指す「幸せ」は、
実現しませんでした。
周囲の人は目覚ましく変わる人もいました。
でも私の場合、
自分の現実が、
自分が思うように、
もしくはそれ以上に変わることは、
残念ながら起こりませんでした。
…私がヒーリングをした他者や動物には、
義理の父も含めて、
実は、面白い変化がたくさんあったのですが…。
瞑想をすれば変わるか、とか、
ハイヤーセルフと繋がれば、とか、
チャネリングを学べば、とか、
まぁ、さして変わらないままでも、
一生懸命に頑張っていた訳です…。
ヒーリングや、スピリチュアルを学んでも、
「魔法使い」になる訳ではないのですが
(…魔女の学校、みたいなところも確かにありますが;;)
やがて、心理セラピーや、
NLP、催眠などを学ぶようになり、
ワン・コマンドと出会うまでは、
ずーっと、下積みともいえる時期。
チャンスが来た!と思えることがあっても、
「砂上の楼閣」ばか
りでした。
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最後まで読んでくださって、
ありがとうございます。
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