潜在意識から現実と人生を変える。
起業家の、
お金と人間関係 書き換えコンサルタント
江藤恭子です。
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8月15日は、終戦記念日でした。
歴史的なこと、政治的なことは、
いままでブログに書いてきませんでした。
若い人は
「日本が70年前に戦争に負けた」
ことも、
「どこの国(連合)と戦っていたのか?」も、
知らない人達がいると聞きます。
1945年、広島と長崎に、
原子爆弾が落とされた年の8月15日、
日本は無条件降伏をしたのです。
そこからいまの日本があるのですよね…。
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私の両親は、既にもう亡くなっていますが、
戦前生まれです。
母方の祖父は、第二次世界大戦と、
その前、合計、2回従軍しています。
父方は九州で、親戚にはゼロ戦に乗り、
戦死した人もいます。
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戦中の貧しい時代に、幼少期を過ごし、
戦後、経済が上昇してゆく中で、
青春時代を過ごした人たちです。
その両親から聞こえてきたのは、
「食べるものにとにかく困った時代だった」
ということです。
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幼い頃の生活は、
田舎の農家で、日々、
食べるには不自由なく育った父と、
現在の韓国のソウルから、
着の身着のままで、京都市内に
家族と引き揚げてきた母とでは、
全く違います。
両親と、4人姉妹で育った母は、
「食べ物の好き嫌いなど、
する余裕はまったく無い」
「ぼやぼやしていたら、
姉妹にすべて食べられてしまう」
気の弱い祖父は、
鶏やうさぎを〆るとき、
何かアルコールを(粗悪なものだったと思いますが)
引っかけないとできなかった、
と後年、話していました。
たぶん、食用ガエルとか、
ザリガニなんかも食べたのでは…?
母はそんなことも話していました。
(フランスなどではザリガニもカエルも、
ちゃんとした食材だそうですが。)
戦後は、生きるのに精いっぱいな時代。
ダイエットなんて考えられない時代です。
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戦中、まだ祖父母家族が日本にいた頃、
犬や猫を飼うことが禁止されました。
祖父母の家には、
開戦前に、祖父母が知人から譲り受け、
祖父母が協力して、
ミルクから育てて可愛がっていた、
次郎という名の犬がいたそうです。
次郎は、赤ちゃんだった母を、
背中に乗せて子守をしたという犬でした。
女の子ばかり生まれるので、
「一郎が生まれますように」という願いを込めて、
貰って来た、まだ離乳もしていない子犬に、
「次郎」と名付けたのだと、
祖父母は言っていました。
(結局生まれたのは、私の母でしたが)
でも、次郎という名の犬は、
当時の保健所に捕まり、
捕まったその場で首を吊るされたまま、
住んでいた町内の一角に、
ぶら下げられていたそうです…。
「あんな悲しい思いは二度としたくない」
祖父母はその後、決して、
犬を飼うことはありませんでした。
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父は宮崎県の田舎の人で、
戦後、食糧難で、食べ物を求めて、
田舎にやってきた人達のことを覚えていました。
寒い冬に、父の実家の前に流れていた、
きれいな川の中に、
街からやってきた人達が、
そのまま入り、フナなどを掴まえ、
その場で、川の中に入ったまま、
はらわたを取り、
フナに噛り付いていた…そうです。
(私が子供の頃でも、
仕掛けを入れれば、フナやドジョウや
ウナギなども獲れた川です)
見るに見かねた祖母が、味噌を出して、
「魚に付けて食べなさい」と渡したとか。
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魚を獲り、その場で貪り食う…。
子供の頃は、それがどういうことなのか、
イマイチよくわからなかったのです。
いまは、それはもう、
究極の状況ではないかと思うのです。
宮崎市内から電車に乗っても、
そこそこな距離のある田舎です。
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百姓が一番強いのだ。
土地を持っているものが、
作物を作れる人間が、
最終的に一番強い。
これは父の言葉ですが、
私もいま現在でもそう思います。
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いま、いろんな変化が、
政治や憲法のことで、
起こっている時期ですが、
こちらで私の政治的な見解は、
一切しません。
ただ…食べられない。
飢えて死ぬ。
こういうことは、この国では、
いまは無いことだとされていますが、
70年前~しばらくのあいだ、
それは現実でした。
食いしん坊で、
食い意地の張った私は、
超ヤワやわな主張で、情けない意見ですが、
「飢えるのは嫌だ」と心から思います。
大切な人が、飢えるのも嫌です。
愛する犬や猫達が、
戦争の大義で共に暮らすことを許されない、
殺されてしまうのも嫌です。
何よりもそういう自由を、
国から奪われてしまうことが、とても嫌です。
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70年間の平和が(戦争をしていないという意味で)、
泡沫(うたかた)では無いことを
これからも続けてゆく為に、
何をすることがよいことなのか?
常に問い続けてゆきます。
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最後まで読んでくださって、
ありがとうございます。
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